今年の冬は、寒いのを通り越して、冷たかった。
だから一層今日のような日差しがありがたくて
背中に受けて土手に座っている。
実家で、耳の遠くなった父と早めの昼食を済ませ
囲碁のテレビの大音量に背中を押されるように早々に失礼してきた。
目の前には広い空。
背中はぽかぽか暖かく、
いつまでだってこうしていられそうだ。
自転車であっという間に遠ざかって行く人。
颯爽と走る人たちの色取り取りのジャージ。
のんびり散歩している様々な年代の夫婦と
それを追い越して足早に過ぎるひとの耳には音楽が蓋をしている。
いろいろな人たちから少し離れた場所に座り直して、
わたしも今日はスマホを鳴らしてみる。
Give peace a chance がまだ必要なんて
ジョンもあそこで呆れているだろうか。
空を飛んでみたいなぁ。
久しぶりにそんな思いに駆られた春先の早い午後。
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二度の延期の末、
とうとう中止になったA-haのライブ。
チケットを払い戻しに行くと
返ってきたのは現金のみで、
2年くらい大切に持っていたのに、
これじゃ、なんにもなかったみたい。
ちょっと前のこと、ラジオから流れてきた曲に耳が止まった。
テイク オン ミー へのオマージュ?
この曲のMVの最後に歌ってる日本人女性は誰?
ということしか話題にはならなかったけど。
そして、またエド・シーランなんだ、
とShazamに教った。
今日のワクワクの行き場は
レコードを聴いておさまるかしら。
最近ラジオでよくかかっていて
声が好きだなぁ、曲もいいなぁ~って思ったので
必死で聞き取った名前を打ち込んでみたら
なんとまぁかわいいコが出てきました。
勝手に抱いていた北欧のイメージは外れたけど。
なんだか、宇多田ヒカルのデビュー曲のMVを思い出すなぁ。
最近、ラジオでかかる曲が邦楽なのか洋楽なのか
途中まで分からなかったり、
男声女声の聴き分けが出来ないこともあって、
トシのせいなんだろうな、と、ちょっと落ち込むけど
そんなことも、どうでもいいのかなとおもえてきた。
好きな曲が出来るって、
わくわくして楽しい。
それが古い歌でも新しい歌でも。
近頃、ダンナはSpotifyで音楽を流していることが多い。
その日はディー・ディー・ブリッジウォーターだった。
成熟したベテランの声が、ジャズやソウルを歌い続ける。
他のシンガーだったら、「あ~、上手いな」と、ただ聴き流していられるのだろうけど
だんだんとじれったいような気持ちが湧き上がって
あの歌が聴きたい!と、スマホに手が伸びた。
「わかってますよ~」と今や大御所の風貌を横目に
曲名もアルバム名も分からない検索にはなかなか時間がかかる。
目がクシャクシャってなった頃やっと、「やった!これこれ」と辿り着いた。
1980年代の初め。
誰かが持ってきたのかレンタルしたのかも覚えていないカセットテープで
かなり頻繁に聴いていた。
ジャズとかソウルとかフュージョンとか、
ジャンルなんて、どうでもよくね?
・・・悪態をつくのはよそう。
例によってわたしが掠ったのは、彼女のキャリアのほ~んの一部分だけ、
寄り道したディー・ディーの歌と、楽し過ぎたあの時間が
今は素直に懐かしい。
それにしても便利な世の中になったもんじゃのう、と心から感謝しながら
何度も何度も繰り返し聴いていると
ユーミンの『パール・ピアス』と同じ空気が流れてきた。
‘80、なんだねぇ。
あんなに避けていた時期があったのに
今ではすっかり丸くなって、角が取れた証拠?
そういうことにしておこう。
本日13時少し前、『 A-HA来日公演延期』というメールが届きました。
よかった~と心から思いました。
延期になれば振替公演に手持ちのチケットで行けることはもちろんですが
内外のアーティストが延期や中止を決めるなか
なぜその判断にならないんだろうという思いが、
日に日に大きくなっていて
こんな時に来るなんて、と思ってしまう自分が少し怖くもありました。
マスクをせずに街を歩く人に冷たい視線が向かうと聞きました。
本当はしたくても手に入らずに困っているかもしれないのに。
「こんな時にくるなんて」と考える自分は
もしかしたらマスクをしない人に冷たい目を向ける人間と同じでは?
料簡が狭くなってることに気付きました。
待ってるよ~、a-ha。